コロナが収束して今思う事
2023 年 7 月 6 日
株式会社ドリームリンク
代表取締役 村上雅彦
コロナ禍が収束して 2 ヵ月が経とうとしております。振り返ってみますと 3 年間数カ月にわたって未曽有の事態と言われ続けた新型コロナウイルスと向かい合って来たことになります。「この 3 年は何だったのだろう?」これが率直な今の気持ちです。
発生当時を思い起こしてみます。日本のコロナは 2020 年 2 月 3 日横浜港に寄港した「ダイヤモンドプリンセス号」の船内集団感染から始まりました。得体がわからず、ワクチンも存在しない、このウイルスは「人類を滅ぼすエイリアン」として連日連夜報道され、ロックダウンによりゴーストタウンと化したロンドン、パリ、NY の映像は人々を恐怖に陥れ、陽性者で溢れ緊迫する病棟の風景や、救急車で病院をたらい回しにされるシーンは人々を止めどない不安に追いやりました。そんな中で、2020 年 2 月 27 日「全国一斉休校」が発令され、4 月 7 日には第一回緊急事態宣言発令されました。やがて著名人のコロナによる死亡が報道され、それまで比較的無関心であった若年層を含め日本全国が得体の知れない恐怖との闘いに陥った様に思います。
日本はコロナで多くの言葉を生み出しました。「三密」「ステイホーム」「テレワーク」「オンライン飲み会」「夜の街」・・・。その中で「居酒屋」や「クラブ」「スナック」などの「酒場」にとって「夜の街」という言葉が大きな打撃を与え経営を悪化させました。
日本へ上陸したコロナは浅草の「屋形船」で発生した集団感染から「クラスター」と言う言葉となり、クラスター発生源となりえる場所が連日の様にコロコロと変わりながら報道 されました。「床屋が危険だ」、「いやパチンコ屋が危ない」、「ネイルサロン」「歯医者」「バス」「電車」「飛行機」「クラブ活動」「スポーツ試合」・・・。そして最後は新宿のホストクラブで発生したクラスターから「コロナのツボが見えた、それは夜の街でした」となり、お酒を伴った会食が「悪」と化し、酒場から人が消えました。
窮地に追いやられた酒場は様々な方策をとりました。資金力の有る大手は、比較的安全と言われた「焼肉」「回転寿司」への業態転換、個人店や中小企業で借金が無い老舗は「廃業」という道を選ばれた方もたくさんおりました。中でも特に多かったのは酒場の「ランチ」参入だったと思います。
ドリームリンクはどうしたのか?私たちは以下の考えに基づき行動しました。「現在はコロナという爆弾が世界中に降りそそいでいるいわば「世界同時空襲」である。我々は被爆しない様に逃げなければならない。しかし自分だけ被爆しなければ良いのではない。逃げている途中で怖くて動けない人が居たら「一緒に逃げましょう!」と肩を貸し、被爆して動けない人がいたら「安全な場所へ避難させ適切な機関へ連絡をして」から逃げる。普段は競合店として競い合っている隣店が被爆で燃えていたら、私たちは自店を閉めて隣店の消火にあたらなければならない。今こそ「経営理念」に基づき、考え、行動し、逃げなければならない」。
これが私たちの基本でした。「設備投資がかからずに参入できるランチ。しかし、ランチ需要は限られている。コロナで自分らが大変だからと酒場がこぞってランチに雪崩れ込んだらどうなるのか?我々の売上は少し増えるかもしれない、しかし、限られた胃袋の争奪戦が始まり、今までランチで商売をしていた方々を巻き込んだ共倒れになるのではないか?
資本主義で商売をしている我々は、生きるか死ぬかの競争はあるべきである。それは発展を生む。ただしそれが許されるのは「平時」の時である。「未曽有の事態」といわれる「乱世」の今、戦争のどさくさの中で、生き残るために殺し合うのではなく、助け合う事が人間として、企業として大切ではないか。それが創業時から掲げてきたドリームリンクの経営理念である。今こそ経営理念に照らし合わせ行動しよう!」この様な考えのもと、私たちはランチ営業には参入しませんでした。
「復興支援酒場」の失敗もありました。復興支援酒場とは東日本大震災がおこった 2011年 9 月、経営理念に基づき「利益を全額被災地に寄付をする」という目的で宮城県仙台駅前と東京都銀座に創ったブランドです。1 年を超える営業で総額 1,500 万円の利益をあげることができましたので、災害が大きかった岩手県庁、宮城県庁、福島県庁へそれぞれ 500 万円の寄付をして閉店したブランドです。役割を終え暖簾をさげる時に「これからも世の中で異変がおこって困っている人達がいたら復興支援酒場を作ろう」との誓いをたてました。
「コロナで世界中が恐怖に陥っている今はその時である」との決断で 2020 年 6 月「新型コロナウイルス撲滅」への寄付を掲げて秋田駅前(現弥助そば総本店)に復興支援酒場を開店致しました。
しかし、結果は寄附どころか大きな赤字を計上することとなりました。東日本大震災の時は復興景気が訪れ連日連夜復興支援に関わっている方々で賑わったのですが、緊急事態宣言などが発令され、ワクチンもなく、飲食を伴う会食は悪とされていたさなかでの復興支援酒場に訪れて下さる方は本当に少なかったのです。日々、日々変わる環境の中で「正しい」と思って切った舵が、間違った方向へ船を向かわせてしまったと深く反省を致しております。
もう一つ思い出される事があります。ドリームリンクが主催した「ワクチン職域接種」です。職域接種とは、菅内閣がワクチン接種のスピードを上げる為に自治体が行う「地域接種」だけではなく、企業や団体が行う事が出来るもので、いわば行政と民間の両方でワクチン接種のスピードを上げるという 2021 年 6 月に発表された政策でした。ターゲットとなり、閑古鳥が鳴いていた酒場の経営者はこの発表で光を見いだしたはずです。「当店スタッフは全員ワクチン接種済ですので安心してご来店下さい」とスタッフが安全であると発信できるからです。
しかし、その翌日「ワクチンの横流しを防ぐために職域接種は 1,000 人以上とする」との条件が発表されました。酒場の多くは 1 人、もしくは家族や友人と営んでいる小さな個店が多く、1,000人規模の店は皆無です。1都道府県で1,000人のスタッフがいる外食企業は首都圏に数えるほどしか在りません。つまり一番苦しんでいる小さな酒場が外される形となってしまい、多くの酒場経営者は諦めてしまっておりました。
私たちは困難にぶち当たったとき「経営理念に基づいて考える」ということの他に、「社訓に基づいて考える」という経営を実践して参りました。
ドリームリンク社訓
1、 出来ない理由を並べるな
2、 出来る方法を執念を持って考えよう
3、 考えた方法を情熱を持って実践しよう
4、 必ず結果を確認しょう
5、 全てにおいてスピードを持とう
「秋田県内の小さな酒場の足し算で 1,000 人集めよう」これが私たちの結論でした。秋田県は全国でも有数の過疎地と言われております。酒場の数も少なく、小規模店舗がほとんどです。しかし 2 人で営業している酒場を 500店舗集めれば 1,000人になります。これを実現するには 3 つの大きなハードルがありました。
1、ワクチンを打って下さるドクターを始めとするスタッフの確保
2、1,000人の接種に対応できる会場の確保
3、1,000をどうやって集めるのか
私は早速、懇意にして頂いている秋田県医師会の小玉弘之会長へ相談を致しました。苦しんでいる酒場の経営者のことを始め、様々な現状を聞いて下さった小玉会長は「任せて下さい」と私の目を見て力強くおっしゃって下さり、医師会、看護師会、薬剤師会へお声がけをして下さり、1 番目の問題を直ちに解決して下さいました。それだけではありません。私たちは 3 番目の問題を解決する方法は資金をかけずにニュースとなる記者会見がベストであると考えておりました。この事をお話ししたら「記者会見は秋田県医師会館で行ったらどうですか?この時期に行われる医師会館での会見は注目されるはずです」とおっしゃって下さりました。一気に 1,3 の問題が解決したのです。
2 番目の問題は佐竹敬久秋田県知事、穂積志秋田市長へご相談申し上げました。両氏とも快くご快諾下さりました。
こうして私は秋田県医師会館で小玉弘之秋田県医師会会長、小泉ひろみ秋田県医師会副会長と共に「ドリームリンク職域接種」の記者会見を開催する事が出来ました。結果県内全マスコミが大きく取り扱って下さり、瞬く間に 1,000 人を超える応募を集める事が出来ました。
今になって分かった事ですが、飲食業組合などの団体ではなく、1 企業が小さな飲食店を集めて開催した職域接種は全国でこの事例だけだそうです。ご協力下さった多くの方々に心から感謝申し上げます。
コロナとは何だったのでしょうか?コロナという大きな嵐が去った後に私たちに残されたものは「大きな借金」でした。その借金の多くは「人件費」「家賃」によるものでした。
緊急事態宣言でお店を開ける事が出来ない時期、また、お店を開けても売上が無く休業した方が赤字額が少ないと休業していた時期など、様々な環境が刻々と変化するその時々の情勢で襲ってきました。
その中で、私たちは「雇用を守る事」を 3 年間貫きました。お店の売上が無い事と社員の生活は別です。売上が無いから給料を払えないという事を行ったら、その社員の家族は生活が出来なくなります。また私たちはアルバイトの給料もコロナ前である 2019年のシフト表(勤務実績)に基づいて払い続けました。弊社のアルバイトの多くは学生です。彼等は遊行費を稼ぎに来ている訳ではありません。学校へ通う為の「学費」や学校へ通う為の「生活費」を稼ぎに来ているアルバイトが大半なのです。お店が休んでいるからということで収入が途絶えると勉強ができなくなります。彼らは将来の日本を支える大切な宝物です。世の中に根差している企業の責任として彼らの学校生活を守らなければならないと考えました。雇用調整助成金という補助が国から出ました。しかし、これは満額ではありませんし、社会保険料などは支給されませんでした。従って私たちの持ち出しが発生します。その金額は月に3,000 万円となりました。
また休業していても、売上が無くても家賃を払い続けました。大家さんの多くは不動産を借財で購入されております。私たちに売上が無いからと家賃を払わないと、大家さんが借金を返済できなくなるのです。緊急事態宣言が発令された地域はここを守る為に支援金が支給されましたので家賃の補填にあてる事が出来ました。しかし、宣言がなされなかった地域はそれがありませんので店を開けるしか方法はないのです。でも店を開けてもゴーストタウンと化した繁華街には誰も歩いていないのが現状でした。開けているよりも閉めた方が赤字額が少ない店舗は店を閉めました。どちらの選択をしても支援金はありません。でも家賃はかかるのです。緊急事態宣言が発令されなかった地方に多くの店を構えている我々は大きな打撃を受けました。
コロナが過ぎ去り「私たちがとって来た行動は間違っていたのではないか?」と毎日考えております。聞こえてくる話しの中には「スタッフを切り、家賃を払わなかったところはコロナ禍でも業績を大きく落とさずに高い評価を受けている」という心無い話しもあります。
「社員はともかく、アルバイトにまで全額支給したのは間違いだ」とお叱りを受ける事も多々あります。「復興支援酒場」の失敗は会社の傷を深くしました。そして「ランチ営業を選択しなかった判断は正しかったのか?」と思う時もあります。医療機関でマスクが不足している時には、確保していたマスクを寄贈したりもしました。何が正解か分からに中で、とにかく無我夢中で空襲の中を駆け抜けて来た様に思います。
100 年前のスペイン風邪が収束まで2年だった事を鑑み、現代のコロナが 3 年以上続くとは正直思いませんでした。振り返るとそこに隙があったと思います。これは明らかな経営判断のミスです。
私たちの信念に「迷った時は筋を通す」「損得では無く善悪で考える」というものがあります。その信念から生まれたのが「世界中を幸せにする」という「経営理念」であります。
経営理念を実現する為の方法として「企業国家論」という「経営哲学」が生まれました。それに基づき「復興支援酒場」を始めとする数々の社会貢献活動を行って参りましたが、今回受けた傷は大きな深い傷となりました。随分と力を失ってしまいました。
「私たちの 3 年間は正しかったのか?」結論はわかりませんが、正しかったと証明する方法があります。それはこれから利益をあげ、借りた借金を返済し、力をつけ昔の様に世の中のお役に立てる企業に返り咲きする事です。コロナの 3 年数カ月、私たちは、ただ嵐が過ぎるのを待っていたのではありません。コロナ前に赤字だった店は全店閉店しました。つまり現在残っている店はコロナ前に黒字だった店です。店舗数が減りましたので売上は減りますが利益は増す構造に変わっております。また経費削減にも努めました。直接利益を生まない本部経費はコロナ前の 1/3 まで圧縮済です。ランチ営業を行わなかった労力を利用し、新たな成長戦略を密かに構築してまいりました。それはフランチャイズによる店舗展開計画です。私たちは 30 を超えるブランドを所有しております。これらを密かにブラッシュアップして参りました。そして様々なブランドはフランチャイズとして展開する事ができる状態まで準備が整いつつあります。コロナが明けた今、既存店の活性化と共に、新たな成長戦略としてここにも力を入れて参ります。
コロナは私たちに、たくさんの試練を与えました。そして大きく深い傷を残しました。しかし、多くの事を教えてくれました。コロナで困っている私たちに「何か出来る事はないか?」「何でもやるぞ!」と多くの仲間が集まってくれております。コロナは「人の優しさ」を教えてくれました。コロナ前には気づかなかった様々な無駄な経費の削減が出来ました。
コロナは「今までの経営の甘さ」を指摘してくれました。フランチャイズ展開による新たな戦略が出来ました。コロナは「新たなビジネス」を作ってくれました。この3年数カ月、私たちはコロナを「世界同時空襲」と捉えて行動、活動をして参りました。自分らが被爆しないように逃げながら、周りを見て困っている人が居たら助けようと必死に活動して参りました。結果、経済的に足踏みをする事となりました。しかし、経営理念に基づいた行動で私たちは一体となりました。コロナは「強いチームワーク」を授けてくれました。
3年間支え続けたアルバイトの多くは卒業となってしまい、これからと言うときにおりません。でも新しい 1 年生がぞくぞくと入って来てくれております。私たちはこれからも経営理念に基づいて彼等と向き合ってまいります。IPO 直前でコロナに遭遇したことをバネにし、より強い、より正義に満ちた会社にすること。「ドリームリンクと言う会社があって良かった!」と多くの方々に言って頂ける未来を作る事を新たな目標に据えて取り組んでおります。「コロナがあって大変だった」ではなく、「コロナがあったからこそ今がある」と言える未来を創造して参ります。
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